子どもの手記

安心できる場所

「楽園」のトモ

あなたには、安心できる場所がありますか?
例えば、教室や家族…。

私は昔、安心できる場所がなく、とてもつらい思いをした時がありました。
教室では先生から良く見てもらおうと、授業や掃除など「いつもまじめに」と気を張っていました。常に「いい子」をよそおっていたのです。
家では毎日、妹たちのケンカがうるさくて、ほっとできる場所がありませんでした。

そして、私は段々と疲れ、何だか心の中にイライラがつもっていきました。心から笑うことができなくなっていったのです。そんな私を心配してくれていた家族にも、先生にも、何かイラつき、うっとうしく思っていくようになったのです。
そして、その「イラつき」を家族にぶつけ、そんな自分にもイラつき、どんどん「ダメな自分」になっていくのがとてもこわかったです。

私が「いい子」だった時、習い事などで忙しかったのですが、その習い事に行くのにも疲れてきて、全部やめてしまいました。これでもう「いい子」じゃない。私は、「本当にダメだ」と思いました。
でも、そんな私のそばには、友だちがいてくれました。
その友だちは、いつもと変わらぬ様子で、家に毎日遊びに来てくれたのです。そんな友だちの態度に、私は「こんないい子じゃなくなったのに、友だちは毎日遊びに来てくれる。いい子じゃなくてもよかったんだ。」
と思えてきたのでした。友だちが家に遊びに来てくれることが、私の心に多くの安らぎを与えてくれたのです。

私には、段々と笑顔も戻り、友だちも増え、「いい子」じゃない自分を認められるようになったのです。
私だけではなく、私のまわりの家族・家全体で気楽になれた気がしました。
私に「家族」・「友だち」という安心できる「存在」・「場所」ができたのです。そうして私は、安心できる場所(自分の家)で友だちと心の安まる時間を過ごしていきました。
そんな私たちの姿を見たからでしょうか、妹は学校でつらい思いをしている友だちを家に招待したのです。
私の家は、今では昔のような張りつめた空気はなくなり、子どもたちが集まる楽しい場所、子どもにとって安心できる場所になったのです。
私の母も、私のことで思いつめていた頃とは違い、私の家に集まって楽しそうにしている子どもたちを見て、とても生き生きしています。
私も、今のこの家が大好きです。
落ち込んだ時、みんなの笑顔を見て、とても安心し、自分を立て直すことができるのです。
心の底から安心できる友だちがいて、とても楽しいです。

私は、安心できる場所ができてから、苦しさをためることもなくなりました。「『いい子』じゃなくてもいいんだ」と思えるようになってから、友だちへの見方も変わりました。本当の友だちが何人もできたのです。

私はこう思います。「安心できる場所」が、教室でも部活でも家でもどこかに一つあれば、その人は幸せなんじゃないかと…。
あなたには、「安心できる場所」がありますか…?

(加筆・修正は佐伯「星の会」の一番星)