当事者が語る不登校① 小中学校時代を不登校で過ごしたトオル

当事者が語る不登校①

不登校のことを聴くには、当事者に聴くのが一番です。「当事者が語る不登校」は、かつて不登校を生きてきた青年にその体験を話してもらい、加嶋の方でまとめたものです。理解のポイントは、加嶋の方で付け加えてみました。

小中学校を不登校で過ごし、高校から学校復帰をしたトオル

家庭訪問という不登校「支援」

トオルの不登校は、小学4年生の2学期から始まった。理由は本人にもわからないと言う…。ただ、朝起きようとしても、お腹が痛くて起きることができなかった。母親は、病院に連れて行ったが、原因はわからない。3日ほど休んだが、朝学校に行こうとすると、お腹が本当に痛くなった。

始めのうちは、母親は無理やりに学校に行かせようとしたが、そのうちにあまり「学校に行きなさい。」とは言わなくなった。しかし、学校に行けない日の母親の機嫌は悪かったそうである。

しばらく学校を休んだある日、スーツを着た二人の大人が玄関の外に居た。小学校の校長先生と元校長先生(相談員)だった。2階から二人の姿を見たトオルは屋根をつたって逃げた。「絶対に会いたくない。」と思ったそうである。

トオルは、不登校支援としての「家庭訪問」を次のように語った。

「ぼくは、あのスーツを見ただけで怖くなりました。不登校の子どもは、先生が家庭訪問しても会わない子どもがいるけど、それは、楽しくないから会わないと思います。結局、母のために、そのスーツを着て来た校長先生と元校長先生に会いましたけど、それは、はっきり言って親のためでした。それと、母の機嫌が良くなると、家が居場所になるので、会いました。」

「家庭訪問は、子どもが会わない時は、親に会って、親の気持ちを楽にしてあげてほしいです。親と会って、学校であったことを伝えながら、『でも、大丈夫ですよ。』と言ってあげてほしいです。そうすると、親は楽になるから、子どもにとっても楽になるし、そのうち、先生にも会うようになると思います。『どうやって学校に行かせるか』を相談することだけは、しない方が良いです。先生が帰った後、親の顔つきが変わるからです。」

「不登校の子どもは、会いたくなくても、ほっとかれるのも嫌なんだと思います。ぼくは、そうでした…。小学5年生の時は、毎週のように来てくれる先生でした。学校の話はしないで、ペットの鳥の世話を一緒にしてくれました。とても、楽しくて、先生が来るのを待っていました。その先生が突然来なくなった時、とても不安だったのを覚えています。」

トオルの体験から見えてくる「家庭訪問」理解のポイント

  1. 会うと、子どもが楽しい内容の家庭訪問をする。それは、学校についての話ではなく、何かを一緒にするための家庭訪問である。
  2. 子どもに会えなくても、保護者に会って、保護者の心を楽にする。不安を受けとめることで、保護者が子どもとゆったり向き合えるようにする。
  3. 子どもは、会わなくても「放っておかれたくない。忘れてほしくない。」という気持ちを持っている時がある。

子どもの居場所

トオルは、小学5年生の時に、「適応指導教室」(教育支援センター)に通った。最初は行きたくなかったが、母親が熱心に勧めるので車に乗って行ってみることにした。そこには、大学を出て間もない青年(臨時職員)が指導員としていた。他に同じ年のアツシとジュンペイも居た。

アツシが、今流行の対戦式のゲームをしていた。ジュンペイは、他の事をしていた。アツシのしているゲームは、トオルが夢中になっているソフトだった。しばらく、そばで見ていたが、自然に声が口から出てきた。「いっしょにさせて…。」アツシも「いいけど、べつに。」そこから、二人は黙々とゲームをした。僅差でトオルが勝った。「もう一回」アツシが言った。いつの間にかジュンペイもそばに来て見ていた。しばらくすると、ジュンペイも入ってきた。4人でできるゲームだったので、指導員の先生(青年)も参加した。最初に負けるのは先生だった。でも、楽しかったらしい。

ゲームをしていても、互いに話をする時は、先生を通して話した。
トオル「なあなあ先生、これ、アッ君(アツシ)できるかなあ。
先 生「アッ君、できる?」
アツシ「ウン、できるよ。」
先 生「トオルちゃん、できるって。」
トオル「じゃあ、やろうや。」
という具合である。しかし、いつの間にか、先生を通さなくてコミュニケーションがとれるようになっていた。

トオルは、適応指導教室のあり方について熱く語ってくれた。

「適応指導教室では、別に話をしなくても、気を使わないでその場に居れる活動が良いです。そして、その活動は、担当の先生が楽しめるものでないとダメだと思います。子どもは、先生が楽しいからしているのか、無理に楽しいふりをしているのか、直感でわかるから。無理に楽しいふりをしてくれても、こっち(子どもの方)は、かえって気を遣うだけだから、その活動を先生が楽しめないといけないと思います。だから、ゲームだけでなく、漫画とかトランプとかウノとかオセロとかファッション雑誌なんかも良いと思います。」

「人との関わり方ってそれぞれなんです。漫画を読んでても、他の子の話を聞きながら読んでいるみたいです。『この前、ゲーム勝って、楽しそうやったなあ』とか言われたことがあります。」

「でも、ぼくが適応指導教室に行ったのは、先生とアッ君たちといっしょにゲームをするのが楽しかったからだと思います。ゲームはやりすぎはどうかと思うけど、ぼくたちが仲良くなるのに、ゲームは必要だったと思います。ぼくたちは、ゲームを通して話をするようになりました。」

次の年、指導員の先生が変わって、トオルもアツシもジュンペイも、適応指導教室には行かなくなった。トオルは、当時のことを「学校に行かせようとするのがバレバレのことばっかりさせられたから。」とだけ話し、多くは語らなかった。

トオルの体験から見えてくる「居場所作り」のポイント

  1. 子どもが夢中になっていること(ゲームも含めて)から始める。
  2. 活動は、担当の指導員が楽しめる物をする。担当者が楽しくなければ、子どもも楽しくない。
  3. 人との関わり方はそれぞれであるから、何もしていないでそこに居るというコミュニケーションのとり方があることも認める。
  4. 学校に行かせようとするのが「バレバレ」のことはしない。
  5. ゲームは、子どもどうしが一緒に楽しみやすいから有効である。一緒に何かをすることで関係が変わっていく。そうした一緒にしたい物・事があるかどうかが「居場所」の試金石となる。

登校の約束の意味

オルが小学6年生の時、担任に何度か登校を促された。「午前中だけでも、学校に来てみないか?」「給食だけでも、来てみないか?」「保健室登校をしてみないか?保健室に来ると、出席になるよ?」「運動会に参加してみないか?」…

トオルは「給食に行けるんやったら、教室にも行ける。それが、できんから苦しいのに…。」と思いつつも「あ、はい…。」と笑うしかなかったと言う。

ある時、担任と母親が話し合って「3時間目まで登校させてみる」ことを決めた。母親が「3時間目まで行ってみたら。」と促すけど、自信がなかったから黙っていた。母親の機嫌が悪くなり、怒りはじめた。仕方がなかったから「3時間目だけ行ってみる。でも、3時間目が終わったら、すぐに帰る」と約束した。母親が嬉しそうに学校に連絡をしていた。

久しぶりの教室はとても緊張したが、「この時間が終われば帰れる。今日頑張れば、明日はゆっくり休める」と思い、何とか頑張って居ることができた。担任は、「大丈夫そう」と思ったようで、3時間目が終わっても「帰って良いよ。」と言ってくれなかった。自分からは、他の友だちとの関係で「帰って良いですか?」とは言えない。結局、給食の時間まで教室に居たが、気分が悪くなり我慢できなくて「先生、気分が悪いので帰って良いですか?」と申し出た。担任が「今日はすごい。給食まで居れたなあ。」と嬉しそうに言った。でも、「1時間の約束なのに、どうして帰してくれんのかなあ。」と腹が立ったと言う。

家に帰ると、母親が「あんた、すごいなあ。給食まで居れたんやなあ…。明日はどうするん?」と言ってきた。「明日は、無理かもしれん。」と答えたという。

トオルは部分登校したことについて、次のように語った。

「学校が、本当に楽しかったら親に言われんでも行くけど、ぼくの場合は楽しくなかった。それでも無理して学校に行ったのは、親が喜んでくれるから。不登校をして、親を悲しませてばかりいるから、なんとかして母に喜んでもらいたかった。それと、母の機嫌が良くなると、家がぼくの居場所になる…。」

「不登校の子が教室で過ごすには、授業での活動が一人でも大丈夫なことをすると良いと思います。例えば、理科の実験道具を作るとか…。必要になれば、話しかけるという形が自然で良いと思います。先生は、誰かと話をさせると学校に慣れると思っているようですが、実際は逆で、かえって緊張します。必要な時に話せる人がそばにいるのが良いと思います。」

トオルの体験から見えてくる「登校の催促」理解のポイント

  1. 教室に来たからその子が成長したと捉えてはならない。親や教師のために登校している時がある。家を居場所にするために、頑張って登校している時がある。
  2. 「○時間まで」と約束をしたら必ず守る。「本人が言ってこないから…」と、なし崩し的に引き延ばさない。子どもは「帰りたい」と言わないのではなくて、言えないのである。
  3. 一人でも大丈夫の活動をする。無理に関わらせないようにする。困った時に関わる位が自然で丁度良い。

将来を見つめる

トオルは、中学生時代を自宅と「ポランの広場」(大分県教育支援センター)で過ごした。中学3年生の2学期頃になると、高校進学について考え始めた。それまで母親や教師が進学のことを話しても、関心を示さなかったトオルが、高校進学のことを考え始めたのはどうしてだろうか?

トオルに聞くと、理由は「友だちが勉強を始めた」「不登校の先輩が『高校ってこんな感じ…』と旬な話をしてくれた」の二つであるという。いくつかの情報から、今の自分が行けそうな高校を選んで進学することにした。

進学する気持ちが膨らむと、自分の学力がどのくらいなのかを知るために、学校の模試を保健室で受けた。トオルに「よく学校にいけたね。」と尋ねると、「自分で行こうと思ったら、行けました。教室ではなくて、保健室ですけど…。」とサラリと答えてくれた。「学校という建物が怖くなかった?」の質問には、「はい。その時(自分が学校に行こうと思った時)は、そうでもなかったです。」と言う。模試の結果は予想通り良くはなかったが、自分の点数よりも低い人が高校を目ざしていることを知り、「自分も何とかなるのではないか。」と自信のようなものが湧いてきた。そして、実力がわかると、トオルは塾に行く気持ちが膨らみ、塾で高校受験の勉強をしていった。

トオルは「この高校だったら行けそう。」という高校を選び受験し、見事合格した。

高校までは1時間半かけて通学した。高校生活は楽しくて、「行きたくないと思ったことは一度もない。」と語ってくれた。昼夜逆転の生活をしていたトオルであるが、高校生活では、毎朝6時に起床した。高校2年生の2学期に、「今のまま社会に出ても、何もできないかもしれん。とりあえず大学に進学して、将来のことを考えよう。」と思った。塾の先生から「君は福祉の方面がむいている。」と言われたのをきっかけに福祉関係の大学に進学することにした。大学に進学する時に「不登校の子どもと関わる仕事をしたい。」という思いが膨らんだ。

大学入試の面接の時、トオルは「自分は不登校の経験があるので、不登校の子どもの気持ちがわかります。だから、この大学に入って、不登校の子どもと関わる仕事がしたいです。」と熱く自分をアピールした。大学に合格して、様々なことを学んでいるうちに、教師への夢が膨らんできた。

教員免許を取得することにしたトオルは、教育実習のために母校であるが、ほとんど通っていない小学校と中学校を訪れた。小学校はともかく、中学校はどこにどんな教室があるのか全然わからない。校舎内を案内してくれる校長先生が「なつかしいやろ」と言ってくれた時に、「はい。」と返事をしながらちょっと複雑な気持ちになったと言う。

今春、社会に出たトオルは、不登校の子どもと関わる医療関係の仕事に就いた。

トオルの体験から見えてくる「進路指導」のポイント

  1. 高校進学や大学進学は、同じ世代の友だちとの交流や先輩との関わりを通して、自らが考えるようになる。その時は「進学しなくてはならない」ではなくて「進学したい」という思いを持つことができる。
  2. 進学の刺激を受けながら、将来を本人が考えるためにも、学校に行かなくても同世代の友だちとゲームをしたり、遊んだりして過ごすことはとても大切な生活である。
  3. 進学をしたくなった時に、学校に行く必要性を本人が感じれば、必要なことをするために(教室とは限らないが)登校する。例えば、模試を受けに行く。放課後、課題を提出するために行く。放課後、わからないことを相談に行く。
  4. 「高校進学を有利にするために出席日数を増やさせよう」と登校の説得をするのは、子どもの立場からみるとマイナスで良くない。自分で(苦しみながらも)決めていれば、中学校に行っていなくても、高校から生活を変えて登校できる子どもは少なくない。