手記
幼い頃から優しく、他者の気持ちを気遣うことのできる子どもでした。その子が本格的に不登校になったのは、中学3年生の夏の終わりです。それまでは、学校を休むことはあっても、部活動に行くという目標があり、学校に何とか通うことはできていました。
みんなが受験勉強に入る中、学校を休むことが多くなりました。はじめは、部活が終わり、切り替えができていないのではないか?いじめられているのではないか?などいろいろ考えました。
成績がどんどん落ちていき、担任から志望校を変更するように勧められました。数字しか見ていない冷たく心無い言葉に、子どもも私もショックを受けました。でも、子どもは志望校を変えませんでした。這うようにして家を出て受験し、結果はやはり不合格。結局、私立高校に入学しました。
本人も気持ちを切り替え、一学期は頑張って通学することができました。二学期に入ると欠席が多くなり、通学することができなくなりました。この時の担任の先生は子どもの状態を理解してくれ、学校に通えるよういろいろと方法を考えてくれました。とても、ありがたかったです。本人もそれに応えようとしていましたが、朝起きて制服に着替えても玄関から動けません。自転車に乗っても動けません。車で学校まで送っても、車から降りることができずに自宅に帰る…そんな毎日の繰り返しでした。
苦しんでいる子どもに対して、私は大きな声をあげたりしてしまいました。今思うと、認知症がひどくなり始めた義父も近くにいたので、限界だったのでしょう。困惑していた私は、子どもを追い詰め傷つけました。一日一日を生きるのが精いっぱいだった子どもにしてみれば、本当につらかったと思います。
二学期はほとんど登校できず、進級のためにテストだけを保健室で受けるようになりました。しかし、それさえもできなくなってしまいました。毎日苦しむ子どもを見ながら、「退学してほかの道を探せばよい」という気持ちと「ギリギリでもなんとか進級してくれれば」という気持ちで揺れました。担任の先生はなんとかしようとしてくれましたが、本人は「こんな状態で進級しても意味がない」と考えたようです。「留年して、もう一度一年生からやり直す」と決断しました。
そして、一つ下の生徒と二回目の1年生をスタートさせました。一学期が終わり、二学期に入ると登校できなくなりました。力尽きてしまったのかもしれません。加嶋さんにも相談し、「どうしても高校を卒業したい」と言う子どもは、通信制高校へ転入しました。
学校と家だけでなく世の中を見せたいと思い、アルバイトの話をすると、「やってみたい」と言うので、近くのコンビニにお願いしました。子どもは通信教育を受けながら、アルバイトをしました。同年代がいないアルバイトには不思議と休まずに通いました。
そんな生活の中、以前からの夢「大学で自分のやりたい勉強をする」という気持ちが再び戻ってきたようです。通信制の担任の先生に相談して、大学の見学に行きました。そして、自己推薦という受験方法で合格することができました。担任と担当の先生方には、本当に力になっていただきました。
大学に入学してからもスムーズにはいかず、半年間休学をしました。今は、また大学に戻り、自分の“性質”を受け入れようと、試行錯誤しながら生活をしています。私はいつも心配で、どんな時も心から離れたことはありませんが、以前とは少し違って「なんとかなる」と思えるようになりました。 星の会の皆様に出会えたことは、とてもありがたい事です。子どもを支える親を支えていただきました。「密」になり過ぎる子どもとの間に「間」を与えていただいたと思っています。あのまま、親子だけだったらどうなっていただろうと思います。子どもが不登校になった時の親の苦しさを唯一理解してもらえる場所“星の会”の皆様に感謝しています。
コメント
東さんの息子さんに「今も一人カラオケに行っているの」と聞くと「いえ、行っていません」と、受話器のむこうで笑っていました。
志望校を受験したこと、留年を選び1年生を2回したこと、大学に進学したけど休学したこと、そして復学したこと…自己決定し、経験していることはそっくりそのまま本人の手に残ります。「自分が自分であろうとする」ための大きな力を、ご両親が与えたことは言うまでもありません。
(星の会代表 加嶋文哉)
