嶋 静江(仮名)
手記
「不登校」…その言葉時々見聞きしていたし、周囲にもいないことはありませんでした。でも、まさか自分の娘がそうなるとは考えたこともなかったです。
頑張り屋でしっかり者と何の心配もしていなかった長女の様子に変化があらわれたのは、高2の冬休み明けでした。発熱や腹痛を繰り返し、学校を欠席することが増えました。進学校の授業スピードは早いうえ、宿題も多く、体調回復し登校すると、その間の大量のプリントを渡され、娘の心理的・身体的な負担は大きく、欠席が増えていきました。
高3になっても、五月雨式に登校していたものの、完全に行けなくなるまでにはそう時間はかかりませんでした。
私は予想外の事態に混乱し、高校卒業まであと一年ということもあり、受験はしなくても何とか卒業だけはさせたいと、渋る娘を登校させるためにタクシーに乗せたことも数回ありました。また、心療内科や大学の心理教育相談室にも通ったりしましたが、どれも状況の改善には到りませんでした。登校できなくても家で好きなことができているならまだしも、うつ状態がひどく、食事や入浴も最小限でひたすら寝ていました。
そんな中、あるフリースクールに時々顔を出せるようになりました。夜は、スポーツジムで軽く運動することも増えました。
卒業が無理だと分かった高3の夏休みには、「高卒認定試験」を受験し、合格しました。学校に在籍中でも受験可能なことと、授業進度が早かったので、8科目中2科目の受験で済むと分かったことが背中を押しました。そうやって気分の浮き沈みもありつつ、家庭教師とその後の通信添削を利用し、同級生より一年遅れで、私大の「センター試験利用」方式で受験合格し、関東の大学(心理学部)へ進学を決めました。
親としては、まだ十分に回復していないように思え、親元を離れて都会で一人暮らしすることに心配はつきませんでしたが、「自分で決めた」ことを尊重し、思い切って送り出しました。
大学進学後も好不調の波は多少ありましたが、どうにか乗り越え、他大学の大学院へ自分で進路を決め、卒業後は臨床心理士及び公認心理士の資格を取り、昨年四月から社会人として、東京都内で働いています。
私が星の会に出会ったのは、長女が不登校になって約1年が経過した頃のコンパルホールであったイベント(講演会)でした。それから例会に時々参加し、ほかの方の経験談を聞くなどしました。気持ちはずいぶんと軽くなり、長女に対する見方も変化していきました。もっと早く、一番苦しんでいたころに星の会のことを知っていればと、つくづく思います。
あれから9年の月日が流れようとしています。星の会に直接お世話になったのは一年ほどですが、その頃にとても救われた思いが強いので、今も会員であり続けています。
これからもこの星の会が、不登校で悩む親たちの重たく不安な心を少しでも軽くできる場所として、存在し続けてくれることを願っています。
コメント
子どもが不登校を始めると、ほとんどの親はおどろき、うろたえ、不安になります。どうしてよいかわからずに、「子どものために」と無理矢理に学校に連れて行ったりします。嶋さんもそうでした。
娘さんが大学進学のために親元を離れる時、嶋さんはとても心配だったと思います。しかし、不登校につきあう中で「自己決定」の大切さを実感したと思います。「何かあったら、その時に子どもと一緒に考えれば良い」と、今を生きることに徹したのではないでしょうか。
「どちらの大学院に進まれたのですか」と尋ねたら「東大の大学院です。でも、…」と心配されていました。「不登校でも」という言葉は好きではありませんが、不登校でも東大の大学院に進学することができます。
(星の会代表 加嶋文哉)
